正月に帰省した際、母方の祖母の家へ行く途中で、大きなバイクに乗ったライダーさんが道路わきの何かをカメラで撮っていた。花でも撮ってるのかなと思っていたら、とっくりとっくんという陶器でできたキャラクターだった。去年地元の人が40体くらい作ったとかで、この近辺(下石町裏山)の窯元近くに設置してあるらしい。
そんなものがあったなんて知らなかったので、家に着くなりカメラを持って探しに出た。
まずは一番近くにあったとっくん。「三松」というウチの窯の看板の近くにぶら下がっていた。川の対岸から見ないとわからないかも。
ちなみに屋号の「三松」とは、うちの祖父の名前が松三で、文字を入れ替えただけである。そして「松三」という名前は、庭に松が3本生えていたから、だそうである。
小さな川沿いを歩いて何体かとっくんを見つけたところで、カメラのメモリがいっぱいになってしまった。普段はもっと保存できるのにナゼ?と思ったら、元日に酔っ払った叔父の動画を10分も撮影したのが原因だった…。写真をいくつか整理して、次来るときの参考のために地図だけ撮影しておく。
20分くらい散策してみたが、思ったより見つからなかった。確認できたのは8体くらいで、40なんてとてもとても…。たくさん写真をとっていた人がwebに公開していたので、どんな種類があるのかはこちらでチェックしてみた。
とっくりとっくん写真集【岐阜県土岐市下石町キャラクター】
地図があると便利だと思ったけど、公式サイトにも地元の情報誌にも見つからなかった。叔母によると、以前とっくん巡りをしていた人が土岐プレミアムアウトレットでもらった地図を持っていたそうなので、帰りにアウトレットに寄ってみた。
正月で激混みのアウトレットへ行き、フードコート内にある土岐情報プラザ(のような名前の場所)に行くと、ここにもとっくんが飾ってあった。置いてあった資料をいくつか確認したところ、残念ながら地図はないみたい。あると楽しいと思うんだけどなぁ。裏山地区はそんなに広くないので、地図片手に探検できたりすると面白そうなんだけど。
ただ、歩きじゃないと探したり写真撮ったりするのは無理なので、車を置ける場所もあわせて書いておくとよさそうだと思った。(最初に出てきたライダーも、バイクが車道に出ていて邪魔だったので)
いろいろ調べてみた
とっくりとっくんの絵コンテの人が昔一緒に書道を習っていた人だったり、叔父の窯も関わっていたりして親近感が沸いてきたので、いろいろと調べてみることにした。基本的にソースはWikipedia。
まず美濃焼について。
美濃焼(みのやき、Mino Yaki - Mino Ceramic Ware)とは、岐阜県土岐市、多治見市、瑞浪市、可児市を産地とする陶器である。
1978年(昭和53年)7月22日に、通商産業省(現経済産業省)伝統的工芸品に認定されている。
江戸時代末期に磁器の生産が始まり現在では日本の和食器・洋食器の大半を生産する大窯業地となる。
中でも武将でもあり茶人でもあった古田織部(1543年 - 1615年)が創意工夫を凝らした「織部好み」は有名である。
代表的なものは志野、織部、黄瀬戸、瀬戸黒。
古田織部という茶人が有名なので、美濃焼といったら織部焼のイメージが強いのかな。(そういえばとっくんも緑色で織部焼カラーだ)
次に、この古田織部という人物について。
古田 重然(ふるた しげてる)は、戦国時代の武将。一般的には茶人・古田 織部(ふるた おりべ)として有名。千利休が大成させた茶道を継承しつつ、大胆かつ自由な気風を好み、茶器製作・建築・造園などにわたって「織部好み」と呼ばれる一大流行を安土桃山時代にもたらした。
天正10年(1582年)から千利休の書簡に織部の名前が見える。この間に利休と知り合い、弟子入りしたものと考えられ、のちに利休七哲(千利休の高弟七人を指す呼称)のひとりとされる。天正19年(1591年)に秀吉によって利休の追放(切腹の前段階)が決まると、利休と親交のあった諸将が秀吉をはばかって現れない中、織部とやはり利休七哲のひとりである細川忠興のみが堂々と利休の見送りを行った。利休死後は、その地位を継承するかのように豊臣家の筆頭茶人となった。
師・利休と同じように反骨精神も旺盛で、徳川幕府の意向を無視することも少なくなかった。
織部は、利休の「人と違うことをせよ」という教えを忠実に実行し、利休の静謐さと対照的な動的で破調の美を確立させ、それを一つの流派に育て上げた。職人や陶工らを多数抱え、彼らに創作活動をさせ、織部焼、織部流の創始者とされている。
面白そうな人物だった。地元の中学とか高校で教えたらいいのにねぇ。
モーニングで連載中のへうげものはこの人が主人公なので、近々読んでみたい。
アウトレットでもらってきた資料によると、とっくりとっくんのいる下石町は徳利の生産量日本一で、そのシェアは50%超との事。今は他の焼き物と同様安い中国品に押されているはずなので、チェーンの居酒屋なんかじゃ見かけないかもしれないけど…。高いお店で徳利が出てきたら、下石産の可能性が高いんだろうな。
下石はもちろん徳利以外も作っていて、叔父の所は湯のみやマグカップに力を入れているらしい。湯飲みは郷ひろみが気に入ってくれたというエピソードもある。また、うちの朝食や晩御飯に大活躍中の皿も作っていたり、自宅の洗面台で使う大きな皿も作ったりしていた。
下石陶磁器工業協同組合の窯元リストを見てみると窯ごとに個性があるようで、昔ながらの焼き物を追及していたり、首相の顔入り湯のみを作っていたり、大学名の入った湯のみを作っている所があったりした。首相や大学名の湯飲みはよく見かけるかも。すごいねぇ。
火童子窯
資料によると、とっくりとっくんは火童子窯という名前の窯で焼かれているらしい。裏山にある古い登り窯で、あまり使われなかったのを有効活用しようとして、とっくんを焼くことになったんだとか。
火童子とはお不動様の使いだそうで、神様を敬う正直者の窯にやってきて、焼き物がうまく焼けるように助けてくれるのだそうな。
…というお話が日本昔話にあったので、以下を参照。
コメント少ないけどニコニコも。
昔話の舞台にもなってたとは…。ピチョンくん…。
下石がある土岐市は去年これをミュージカルにして上演したようなので、今年も陶器祭りでやるのかも。祭りのお客さんに見てもらって、いろいろ知ってもらえるといいですね。
せっかく近くに人の集まるアウトレットがあるので、ちょっと立ち寄ってもらえるような工夫ができるといいですねぇ。もらってきた資料のうち「岐阜東濃旅マップ」という小冊子のつくりが丁寧で良かったので、これを作った所にとっくんMAPを作ってもらい、アウトレットに置いたら面白いかもしれませんね。がんばれ土岐市!